昭和四十六年十月二十四日

御理解 第七十八節 『神の気感に適うた氏子が少ない、身代と人間と健康とが三代続いたら、家柄人柄筋となってこれが神の気感に適うたのじゃ、神の気感に適わぬと、身代もあり力もあるが壮健にない、壮健で賢うても身代をみたすことがあり、又大切の者が死んで身代を残して子孫を断絶して了う、神のおかげを知らぬから互い違いになって来る、信心して神の大恩を知れば無事健康で子孫も続き身代も出来、一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来る』




 一年勝り代勝りのおかげが頂けれる、その土台となるものはどう言う事かと言うと、一番はじめに神の気感に適うた氏子が少ない、所謂神の気感に適うた氏子になると言うことです、神の気感に適う、いわゆる神様の御心に適うと言う事です、神様の御心に適ういわゆる神の御心に適うたと言う事です、神様の御心に適うた氏子にならして頂く、お取りだて頂くと言うそこのところが大切です、ならば神の気管に適うと言うことは、此処に身代と人間と、壮健とがそろうてとおっしゃるが、所謂人間と言う事だと思うですね、身代と人間と壮健と言う事は、人間がいわゆる人間と言うのは間違いの無い人間と言うておられる、只人間と言うことはね、身代と人間いわゆる人格とでもいいましょうかね、ここでは、人間と身代それから壮健と言う事は健康と言う事、だから人間ができねばいけません、あちらは人間が出来てあると申しましょう、そう言う意味なのです。
なら信心で出来てある人間とはどう言う事かと言うと、偉くなったとか賢くなったとか言うことではない、ならどう言う人間にならせて頂いたら、よいかと言うこと、その人間が出来ると言う事、しかもそれが一家を挙げて、人間が出来て行く一家中がね勢を揃え立てて信心させて頂いて、一家中で信心の共励が出来る様になる、容易く言うならそう言う事と思うですね、信心が出来るとか出来んとか言うのは一家中が信心の話しが出来る様な家庭と言う事です。
 そして例えば問題はある、又信心しとるから難儀に遭わないと言う事ではない、けれどもそれがね、家族中で話しおうて、神様の心に添い奉ろうとする、話し合いこれはまだ私どもの信心が足りんからですよと、そんならどこがどう足らんのかと言う様な話し合いがね、家族中でおかげを受けられる事が出来る事だと私は思う、信心がばらばらではいけませんそう言う例えば家庭環境からです、身代も出来てくるだろう、また人間の幸福の条件であるところの、健康もまた許されるであろうかと、私は今日ここのところを頂いてね、今日はいわゆる私ども一家、大坪一家のことと直結して考えて見た、昨夜もおそうまで両親のお部屋に参りまして、私と両親とそれから妹達親子、それに若先生も一寸入っとります、私どもが話しておったこと私どもがその親子での雰囲気と言うものをです、神様が聞いてござる、ご覧になっておられたり神様も一緒になって喜んで下さる、であろうと思う様な、雰囲気であった。
 それがこうしてゆうべの月次祭の御理解じゃないけどね、本当にこの世で極楽と思われる程しの、おかげを一家中の者が頂いておる、必要なものが必要に応じてしかも勿体ない程しのものが、しかも限りにく無尽蔵に与えられておると言うこと、しかも父が満の八十八才、母が八十一才でしょうか満の、私が五十八才、家内が五十五才、長男が二十七才、こんど来月の五日に結婚式を挙げます、そうすると三夫婦の三代そろうて、健康でしかもそう言う身代の中に神様に許された、身代の中におかげを頂いて、しかもその三夫婦が壮健であると言う事、ほんとに今日はここを拝読させて頂いてですね、愈々家繁盛子孫繁盛の元がこれで出来る、まあ出来たなあと言う感じがします。
 まあ父から言うて若先生が三代目になりましょう、例えば信心を頂く様になってからの三代目ですからね、両親の信心から私どもの信心、そして私の子供達の信心、人間と身代と壮健とが三代続いて、三代続いたら家柄人筋となってと言う、しかもこれが一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来る、一つの基礎が出来た、そんな感じです、それが昨日月次祭が済んだ後にです、まあ十一時頃まででしょう、まあ本当に有難い勿体ないの話しばっかりでございましたがです。
 rそう言う話しがです、今こう言うおかげを頂いておるから出来ておるのではなくてです、言うなら二十数年前に住まう家こそはあったけれども、言わば衣食住のそれに愈々困迫した時代があったと言う事、しかもその中には病人もあったこと、言うなら身代もなからなければ壮健でもなかったと言う事、そう言う身代もなかった壮健でもなかった、と言う時代にです、私は人間が出来て来たと。
 rそれはどう言う事かと言うと、一家中の者がです、一家中の者が集まったら信心の話しであった、そしてそのことがどういう結論になっておったかと言うと、これは未だ信心が足りんのだから、ここはまだ一段信心させて貰わにゃならんと言う様な、話し合いで終わっておった、それなら有難い勿体ないの話しで、今はじまった事ではない、そう言う難儀  の時代に私ども家庭ではおかげを受けておったと言う事、妹婿が長い間胸の病気で寝んでおりました、貧乏させて頂いておるだけではない、病人があるとは思われない貧乏しとるとは思われない様に、言うなら笑いは絶える事はなかったと言う事、それこそその当時鍋の中ども見たら、皆が吃驚仰天する様な状態であったです、こげなものは食べられるじゃろうかと言う様なものを頂いておったと言う事、それでいて貧乏のみじめさと言った様な何かお金がある時には仲良く行きよるけれども、一寸金が足らん様になるとぶっすりがっすり言う様になって、夫婦親子が争いが起きて来る、生ずると言った様な事ではなかったと言う事、それはやっぱり生活苦と言うか様々な苦しい事ですから、不平不足が出らんわけではない。
 r或る時などもう愈々修行が酷、私が福岡で修行の時代帰らせて頂いたら、両親がいろいろ話しをしておったらしい、とにかくあなたから一言言いなさいと、両親が話して、私の父と言う人は大体無口で子供にでもいろんな指図がましい事は何も無い、私ども叱られた事もないと言う様なひとがらなのです、ですからよほど思い切って言わなければ言えないと言うことなのです、といわば父がね、今のごとある状態で行きよるなら、これはもうやって行けんごとなるに違いはない、あんたが商売、いうなら商売をすれば商売で一人前の商売人でありながらです、最近の様な見ておるとそれこそ破れた服を着て破れ鞄を下げて、破れ靴をはいて、さあ今日も神様の御用、明日も神様の御用でそれこそ席の暖まる暇のない様な状態でありましたが、それを私は止めよと言わんから家の者の生活の立つ様にだけはして、そして神様そして信心でなかれねば、もう愈々いかんよと、あんたがこの通りで続けて行くなら、私どんはお四国さん参りでもせにゃ仕様がないと父が私に申しました、もう私はその事を聞いた時にですね、もう心の底から笑いがこみ上げてきました、それは白真剣な父としては一生懸命の話しなのです、二十何年前の話しですから、八十八であって、六十四五の時じゃなかったでしょうか父が、もう働くと言うてもどう言う事も出来んから、それこそお四国さん参りと言う事は、乞うてさるかねば首に袋を下げんならんと言う意味なんです、と言う程しに逼迫しとったのです。
 rそういうことしかもね、それが私に対してそう言う小言がましいことを言い得ない父がそれを言ったことは一生懸命であったろうと思います、ところがですその時の私の心の中に、そういう悲惨なものでなくて何かもう腹の底からつき上げて来る様に、笑いがこみ上げて来るとですよ。
 私が大きな声で笑い出したものですから両親が、それこそ泣き笑いです、もうあんたばかりはいくらいったっちゃ、こげな話しをしよる時笑うてからと言うて、けれども私はおかしくておかしくて仕様がなかった、先のことを知らんからと思いました、まあそげな事を言わずに御祈念、御祈念と言うて、私が御神前に出ますとやはり両親も妹も後からついて来て一緒に御祈念でした、御祈念が終わるとお話し御理解を頂くのですね、そすとどう言う事になるかと言うと、本当にそういう御神意でもあろうもう一がんばり信心に打ちこもうと言うて、寝まして頂いとりました、そう言う中におってねじめじめしたものが無かったと言う事です。
 rそれこそ鍋の蓋でも開けて見られたら、びっくりする様な鍋の中の事は誰にも言わんなら知らん、大変な事でした、例えばそう言う中にね、そう言う中にもう愈々元気な心を養わせて頂いて、昨日月次祭にも申しました、照れば若葉の輝きて、降れば若葉のいそいそと言うことでした、照ったから困るとか、降るから嫌いと言うのではなくて、むしろその照る事によって愈々輝きを増して来た、降ることによって愈々いそいそとした、いわば生き生きとした元気な心で、さあもう一がんばり頑張るぞというおかげになって来て、それこそ父からそう言う風に言われるときであってもです、私の心の底からこみ上げて来るものはもう、笑いであった、それこそ可笑しくて可笑しくてこたえんじゃった、あんたばっかりはこげな大事な話ししよるところえ、いうならこう言う深刻な話しをしよるのに笑ってからと、けれども笑わにゃおられない、先のことを知らんからそう言う、私の心の中にはもうおかげになる、絶対なものを心の中に頂いておったです。
 rまあそげな悲観的な事を言わずにさあ、御祈念御祈念と言うて御祈念させて頂いた、私を中心にお話をさせて頂いておると、皆の心が晴れ晴れとなって来た、これはまああんたがそれだけ一生懸命なら、もうひと頑張りかんばろうかと言う様な、言わば日々だったのです、私の心はねそれこそ踊る心であった、喜びであふれておった、そう言う心を抱きしめてそれこそ嬉しい涙にかきくれておったんです、これは本なことですよ、私の涙は。
 rだから信心とはね、そう言う心の状態にもなってゆけれる、しかも中心がそうであるとです、もうここに悲嘆の淵に沈まなければならん様な場合にあっても、一家中がまた朗らかに笑える様な、そこからいそいそとしたものが湧いて来る程しのものなのです、信心とはそう言う時代にです、いうならば私の方の一家のものが信心の話しによって、一家中が共励のおかげを頂くことに依って、いわゆる人間か出来てきたと言う事です、人間が出来ると言う事はです。
 r只人格者になると言う意味ではなくて、ここで教祖様が言う人間、身代と人間と健康とおっしゃる事が、そう言う人間にならせて頂く事だと言うことです、天に任せて地に縋らせて頂けれると言う、信心が委せられる神様にはお委せが出来ると言う、そう言う心の素直な又は豊かな大きな、しかも勇気のあるそう言う心が備わって来る、人間にならなければならないと言うのです、そう言う人間でなからんと駄目ですよ、人間が出来てある、ああもうあっちは大臣にならっしゃつた、代議士にならっしゃったという意味の人間じゃないのです、ここに人間が出来ると言う事は降っても有難いいんなら、照ってもまた有難いんだと、頂けれる様ないやむしろそこから、いそいそとした元気な心が湧く様な人間がその時分に、鍛えられ鍛えられして出来ておったと言う事なんです。
 お互い信心させて頂いて人のいうならば手本になる様な信心と、教祖様は教えておられますが私どもが頂いておるおかげと言うものは、これは皆さんの一つの手本になるのではなかろうかと思う、果たして問題が起こった時にその問題を通して、信心の話しが家庭で出来ておるであろうか、しかもさあ神様神様と神様一つにしぼっておられるであろうか、問題はあるけど親先生は何と仰るですか、と親先生の仰る事で決まる程の神様を親先生と信じておる、信心生活が出来ておるならば、かならず今私が申します、此処に教えておられます、親まさり一年まさり、代まさりのおかげが頂かれる、基礎がこれが出来ておると言う事が出来るのです。 こんど若先生の結婚にあたって私が一番楽しみにしておるのは、三代揃うて健康でしかもこの身代の中にあって、三人が記念撮影をする、あと数日に迫っておることを心の中に映かせて頂いておる、そして信心させて貰えばこう言うおかげが、うけられると言う見本をですね、ここにはっきり示してゆきたい、それが私の楽しみな?に思うておる事なんです、身代と健康はだから人間がまず中心になっておると言う事、人間が真中になっておると言うこと、人間が出来ると言うことはです、偉くなるとか賢くなる事ではなくて、すべてを有難い又は一切を神愛、として受けこなして行けれる人間、家の中に問題はある、そう言う難儀な問題を通してです、家族中で信心の話合いが出来る、信心の共励が出来る程しの家族かまずできなければいけないと言う事、それは必ず身代は健康は、伴って来るものだと言う事、そう言う信心が三代続いたら神の気感に適うた氏子と仰る、まあ言うならばそれはお粗末な事ではありませんけれども、神様の気感に適った大坪一家になるのじゃないでしょうか、だからこそ両親の健康、八十八数えの、満八十五才迄もおかげを頂いてしかも健康でしかも結構ないわば、おかげを頂いておると言う事、そう言うおかげのいただけれる道、皆さんが持っておられる、例えば一つの難儀と言うものです、愈々神様がわからして貰ひ、愈々信心を進めさせて頂くための、それは神様のはからいとわからして貰うときに、それは難儀ではないことになって参りましょう、この難儀から解放される、この難儀から抜け出したい、抜け出たい一心の信心では駄目、その中に入って行けれる信心、“照れば青葉の輝きて、降れば若葉のいそいそと”と言う様なですね、ところを今こそ頂かして頂かねばならない時では、なかろうか、しかもそう言う事がです、有り難うして有り難うして、おどる心を抱きしめながら、うれし涙にくれる時ではなかろうか、そう言う信心を今こそ身につけなければならない時である、結構気だらけのおかげを頂いとるから、嬉しい涙が流れると言うのではない、そこに所謂人間が求められる時である、求められる人間はそう言う中に、耐え得ると言うだけではなくて、そこに嬉しい涙にくれられる程しの人間になることを、神様は願っておられると私は思うですね。 どうぞ。